東北の温泉地に宿る神と『テルマエ・ロマエ』(ヤマザキマリ)|読んでつなぐ、私の東北。|びゅうたび
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東北の温泉地に宿る神と『テルマエ・ロマエ』 ヤマザキマリ

 今から20年程前、まだ漫画だけで食べていくのが難しかった頃、それまで留学していたイタリアからいったん日本に戻っていた私は、北海道のローカルテレビ局の温泉リポーターとして、北海道と東北県内の温泉地を月に一度訪れていたことがあった。イタリアでの画学生時代は生活が困窮し、しかもなかなか浴槽のある家に暮らせなかったために温泉への思いがつのっていたこともあり、この仕事は単純にありがたかったし、この時の経験はその後に描くこととなる漫画『テルマエ・ロマエ』でも大いに役立ってくれることになった。
 中でも、東北の温泉地は仕事で訪れるだけではどうにも物足らず、プライベートで出直すことも度々あった。どちらかといえば派手な温泉街よりも、大自然の中に慎ましく佇んでいる秘湯に惹かれる私にとって、東北はまさにそんな趣の温泉が点在している絶好のロケーションだった。しかし、テレビカメラが回っているあいだは、何か気の利いたセリフを探すことに頭が囚われているから、お湯の中で心ゆくまで寛ぐことは許されない。タイトな時間の中で、時には1日に3件もの温泉を掛け持ちせねばならず、それはそれで心残りばかりが溜まっていく。そうこうしているうちに、結婚を期に再び日本を離れなければならなくなってしまった私にとって、東北の温泉は再び遠い存在となってしまった。
『テルマエ・ロマエ』の雑誌連載が始まって間もなかった頃、当時暮らしていたポルトガルから一時帰国をした際に、漫画家の友人と一緒に再び東北の温泉巡りをしたことがあった。漫画家としての士気を上げるためという目的を掲げ、初夏になりかけの、生命力溢れるみずみずしい樹木に覆われた森林の中を時々迷いながら、まずはリポーター時代に何度か撮影で訪れた乳頭温泉郷へ向かった。
 道すがら、私達の視界に小さな祠が入ってきた。ふと友人が足を止め、突然「あそこでお参りをしよう」と言い出した。「こういう人目につかない場所にある祠はきっとご利益があると思う」とつぶやきながら、背負っていたリュックから自分の単行本の最新巻を取り出し、祠の中にそっと置いた。それを見た私は驚き、慌てて『テルマエ・ロマエ』の雑誌の切り抜きをかばんから取り出し、その隣にそっと置いた。単行本としてまだ刊行されてはいなかったが、何も持たないよりはましかと思って、密かに持参していたのだ。
 祠を向いていた友人はびっくりした目で私を振り返り「同じこと考えてたの!」と大笑いをし始めた。漫画家としての士気を上げるため、という目的付きの旅でもあるわけだから、どこか縁起の良さそうな場所があればお参りをしたい、というのがお互いの潜在意識にあったのだ。友人と私は再び祠に向かって手を合わせた。
「売れっ子になりたいとは申しません。でも、せめて漫画で食い繋いでいけますように」という、できるだけ控えめな願いを掛けてその場を後にし、念願の温泉旅館へ行って白濁した湯に心ゆくまで浸かり、それから数日間の温泉巡りを堪能したあと、私は再び日本を去った。
『テルマエ・ロマエ』のヒットは海外在住時の出来事だったこともあり、今ひとつ私には現実感が湧かず、逆にそのおかげで悠々自適に気ままな妄想を表現し続けていたが、ある日一緒に東北温泉巡りをした友人から国際電話で「間違いなく祠のご利益だよ」と言われ、感慨深くなってしまった。美しい緑の生い茂った森と輝く木漏れ日に囲まれた、あの小さな古い祠を思い出し、胸がじんわりと熱くなった。内容が内容なだけに、温泉の神がいるのであれば、まさにそのご加護と言っても確かにおかしくはない。
 もうあれからだいぶ時間が経ってしまったが、もしあの場所を探し出せるのであれば、改めて感謝を告げに訪れてみたいと思っている。勿論そのついでに白濁した温泉も堪能しつつ。

監修 幻冬舎

ヤマザキマリ
漫画家・随筆家。東京都出身。1984年に渡伊、フィレンツェの国立アカデミア美術学院に入学。美術史・油絵を専攻。1997年にマンガ家としてデビュー。2010年古代ローマを舞台にした漫画『テルマエ・ロマエ』(ビームコミックス)で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年には、イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。