「討ち取ったり!」お江戸ル“ほーりー”が AKR47(赤穂浪士47人)の引き上げルートをゆく!
こんにちは。AKR47(赤穂浪士47人)の推しメンは大石主税(ちから/赤穂浪士のリーダー大石内蔵助の息子で、最年少15歳で討ち入りに参加)、お江戸ル“ほーりー”こと堀口茉純です。江戸時代に詳しすぎるタレント=お江戸ルとして活動する私にとって、赤穂浪士はどんなアイドルグループにも負けない魅力的な存在。特に最年少で討ち入りに参加した大石主税の奮闘には胸が熱くなります
今回はそんな赤穂浪士ラブの私が、ほとばしるパッションが抑えきれず年に一回巡礼している「赤穂浪士討ち入り引き上げルート」をご紹介します!
ルートを辿る上でのポイントは3つ!
ところで、赤穂浪士の物語はご存知でしょうか?
簡単に解説すると、赤穂藩(現在の兵庫県赤穂市)の殿様・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、江戸城内で吉良上野介(きらこうずけのすけ)を切りつけ刃傷沙汰を起こしてしまいます。幕府は浅野内匠頭だけを即日切腹とし、赤穂藩をお取り潰しにしました。それに異を唱えたのが家老の大石内蔵助を筆頭とする元家臣たち。浪人になった彼らは「充分な詮議(取調べ)もせず自分の主君だけが罰せられるのはおかしい!」と、仇討ちに向かうのでした。
仇を討った赤穂浪士たちに待ち受けているのは死罪。
命を懸けて主君の仇を討つ浪士たち、泣かせるじゃありませんか。
彼らと同じ時代に生きて居たら是非とも声援を送りたい!
というわけで、浪士たちと同じ風を感じるべく、今回の旅のポイントを3つ設定。
1.歴史が動いた時間と同じ時刻に巡礼スタート
2.浪士が立ち寄った場所にも足を止め、できる限り忠実に引き上げルートをなぞる※
3.当時の状況を想像(妄想!?)しながら、とにかく没入!
※実際の交通事情から、ほんとうに忠実に引き上げルートをなぞることはできないため。
それではいってきます!
午前4時、討ち入りの時間に合わせて両国へ
元禄15年12月14日寅の上刻(1703年1月31日午前4時頃)、赤穂浪士たちは本所の吉良邸に討ち入り、およそ2時間の死闘の末に主君の仇・吉良上野介を討ちました。
というわけで、その空気感を楽しむために、私もこの時間に合わせて早朝に両国近辺のホテルを出て、JR両国駅に到着しました。
夜明け前、まだ薄暗く人気のない町を歩き本所松坂町公園へ。ここが吉良邸跡。 そして目をつぶる。
暗がりの中、刀と刀がぶつかり合う死闘を想像。赤穂浪士題材にした映像作品や歌舞伎「忠臣蔵」でも最も人気が高いクライマックスシーン!
公園内には吉良上野介像や吉良の首を洗ったとされる井戸などがあります。
討ち入りを終えて本懐を遂げた赤穂浪士たちは、騒動を聞きつけた幕府の追手が来て泉岳寺(浅野内匠頭の墓所)までたどり着けなくなることを想定し、近くの回向院で様子を見ることに。しかし、騒動に巻き込まれることを恐れてか、回向院に門前払いを食らったため、少し先の両国橋の東詰めで待機しました。
現在、橋のたもとには赤穂浪士きっての文化人・大高源吾作とされる『日の恩や たちまち砕く 厚氷』の句碑があります。
赤穂浪士を同じ道を歩く…考えるだけでワクワク!
夜が明けても追手は来なかったので、赤穂浪士たちの本格的な引き上げが始まりました。ここからは隅田川を横目にひたすら南下。民家やビルなどが立ち並ぶ味気ない風景が続きますが、こういうときこそ想像力の出番です!
なんてことない道一つでも、赤穂浪士が歩いたと思うだけでワクワク。江戸の町は夜明けとともに動き出しますから、きっと町の人びとはき上げ中の赤穂浪士の姿を目撃したはず。火事装束に身を包み、主君の仇である吉良の首を掲げて歩く彼らの姿に騒然となったことでしょう。
赤穂浪士たちは永代橋の近くで営業していた乳熊(ちくま)味噌で小休止して甘酒粥を飲んだと言われています。ナントこの乳熊味噌、現在もちくま味噌として営業中。期間限定で「元禄浪士あま酒」という復刻版を通販で販売しているので、私は水筒に入れて保温してこれを持参し、橋のたもとで一献傾けるのが恒例です。
妄想の中の47人と乾杯☆
永代橋を越えると中央区に入ります。埋め立てや区画整理で道筋が変わっているので必ずしも引き上げルートの通りに歩けるわけではありませんが、ポイントを押さえて進むことに。現在の聖路加国際大学の敷地のあたりが浅野内匠頭(たくみのかみ)邸跡。浪士たちはかつて自分達の屋敷があったこの場所をルートに入れているんです。
脳裏によぎる、この場所で過ごした懐かしい日々の記憶……! 志士たちもきっと感慨深く見つめたことでしょう。
何かと話題の築地が中間地点です
現在は古代インド風の外観が印象的な築地本願寺もゆかりの地の一つ。赤穂浪士の間新六(はざましんろく)は引き上げの際に菩提寺だった築地本願寺の境内に、自分の供養を願い、槍に書状と金子を結びつけて投げ入れたと伝えられています。
ここまで黙々と歩いておよそ2時間。全行程の約半分の距離を歩いたことになるので、すぐ近くの築地市場で休憩を兼ねて腹ごしらえを。ちなみに赤穂浪士たちは、この時間、すでに泉岳寺に着いていました…恐るべき健脚!
市場橋交差点を渡ってみゆき通りを銀座方面に進み、香蘭社ビルを左折して新橋に向かうのが引き上げルート。そこからさらに旧東海道をひたすら南下しますが、結構時間がかかるのです。赤穂浪士はすでに泉岳寺に着いているというのに……!
ということで、現代人の私は、ここはJRをつかって新橋駅から田町駅までショートカット。田町駅近くの札の辻交差点の歩道橋を渡って国道15号=第一京浜沿いを歩きます。この道が旧東海道筋にあたるので、再び引き上げルートに合流します。
この何気ない石垣も旧東海道筋の名残の一つ・高輪大木戸跡江戸への玄関口の一つで、旅人の歓送迎会で大変にぎわった場所です。ここまで来たらゴールの泉岳寺はすぐそこ。
我が推しメンの終焉の地で合掌
泉岳寺には赤穂浪士たちの主君・浅野内匠頭や赤穂浪士の墓地、大石内蔵助の銅像、記念館などのみどころが多数あり、私の推しメン・大石主税が切腹した場所に埋められていた梅も移植されています。
墓前にお線香を手向け、現代まで貴方たちの物語が語り継がれていますよとご報告、合掌して巡礼を終えました。
全行程およそ13キロ、東京を縦断するこの工程。じっくり一日がかりで歩くもよし、私のようにショートカットしながらポイントを押さえて歩くもよし。歴史好きなら古地図を片手に、なんていうのもいいかもしれませんね。
スタートのJR両国駅、ゴールの泉岳寺周辺にはホテルもありますから交通・宿泊の便は抜群。遠方からいらっしゃる方にもおススメの東京散策コースです。
スポット情報
泉岳寺
住所:東京都港区高輪2-11-1
電話:03-3441-5560
開閉門時間: 7:00~17:00(4/1~9/30は18:00閉門)
URL: http://www.sengakuji.or.jp/
今回の旅の行程
【1日目】JR両国駅→本所松坂町公園(吉良邸跡)→回向院→両国橋の東側広場→永代橋付近→聖路加国際大学(旧浅野内匠頭上屋敷)→築地本願寺→JR新橋駅→JR田町駅→泉岳寺