日光の名建築めぐり。美しき和洋クラシックを訪ねて
日光のイメージといえば東照宮しか思いつかなかったが、最近になって別の魅力があることを知った。鎖国が終わり、江戸から明治になった日本には多くの外国人が訪れた。そこで日光は、自然と歴史、文化を備えた避暑地として高く評価されたそうだ。日本最古のリゾートホテルといわれる「日光金谷ホテル」をはじめ、当時の面影を伝える古き良き和洋折衷の建築が今なお残っている。そこで今回は、「美しき和洋クラシック建築」をキーワードに、ひと味違う日光を訪ねてみよう。
日本とは思えない風景
JR東京駅から新幹線でJR宇都宮駅へ向かい、JR日光線に乗り換えてJR日光駅へ。駅を降りて、まず驚いた。あれ、こんな駅だったっけ?複雑な屋根の構造に半円形の窓、ピンクと白のかわいい色使い。階段を上がった2階は広間のようになっており、かつては1等客の特別待合室として使われていたそうだ。避暑地へ向かう各国のお洒落な紳士淑女が集っていたのだろうか。想像すると、ちょっとワクワクする。
駅前でレンタカーを借り、くねくねと曲がる「いろは坂」の山道を抜けると、突然目の前が開けて中禅寺湖が姿を現す。実はその先に、瀟洒(しょうしゃ)なお屋敷「英国大使館別荘」がひっそりとたたずんでいるという。車では入れないので、歌ヶ浜駐車場に車を置き、徒歩で向かうことにする。
「英国大使館別荘」は、1896(明治29)年に建てられた、英国の外交官アーネスト・サトウの個人別荘。その後も英国大使館の別荘として長年使われ老朽化していたが、復元ののち2016年7月より一般公開されている。ちなみにサトウというから日系人かと思ったら、スペルはSatowで、ロンドン生まれ。その名から日本人に慕われ、自ら佐藤愛之助と名乗っていたという。なかなかお茶目なお人柄だったらしい。館内ではサトウの生涯や、その時代の英国文化、奥日光の自然などを紹介。2Fにはカフェスペースもあり、紅茶やスコーンと一緒に英国風ティータイムを楽しめる。
英国大使館別荘からさらに奥へ進み、イタリア大使館別荘へ。編み込んだような杉板の壁が東南アジアのリゾート感を漂わせつつも、周りの自然に溶け込み、モダンで落ち着いた雰囲気にハッとさせられる。設計は建築家フランク・ロイド・ライトの助手として来日し、その後日本に設計事務所を開設したアントニン・レーモンドが手掛け、日光の職人たちの技術を駆使した木造2階建て。1928(昭和3)年に建造され、1997(平成9)年まで代々の大使に使われていたそうだから、つい最近まで現役だったのだ。国際避暑地と呼ばれるこのエリアには、まだ現役の大使館別荘もあるそうだ。
それぞれ特色のある別荘を堪能した後は、自家焙煎のコーヒーでひと休み。続いて、日本最古のクラシックリゾートホテルの歴史をたどる。
女性旅行家イザベラ・バードも宿泊した客室が今も残る
金谷ホテル歴史館は、建物の一部は築約400年で、もとは鎌倉時代の武士の住居だったという(屋根裏を覗くと、400年分の塵が積もった様子も見られる!)。武家屋敷には珍しい2階建てで、襖の向こうが階段だったり、不思議な抜け道があったりして、忍者のからくり屋敷のよう。戦に備えた工夫があちこちに凝らされているのが面白い。
代々東照宮で雅楽の演奏者だった金谷家が住居としていたが、1870(明治3)年にアメリカ人宣教師のヘボン博士が日光を訪ねてこの屋敷に泊まり、ホテル開業を勧めたという。創業者・金谷善一郎が1873(明治6)年に「金谷カテッジイン」をオープン。善一郎氏も雅楽奏者だったらしく、きっと文化度が高く、センスのいい粋人だったのだろうなと想像する
イギリス人の女性旅行家イザベラ・バードが宿泊し、自身の著書にこの屋敷の美しさやおもてなしの素晴らしさを書き綴ったことで、海外にも広く知れ渡るようになった。日本最古のリゾートホテル発祥の地としても、貴重な和風建築としても、ぜひ訪ねておきたい。
この旅のメインイベントである「日光金谷ホテル」へ
先ほど訪ねた金谷カテッジインの誕生から20年後の1893(明治26)年、今度は本格的な西洋式ホテルとして現在の地に誕生した日光金谷ホテル。エントランスのクラシカルな回転扉に、心ときめく。歴史に名を残す著名人たちが泊まったというが、彼らもこの扉に吸い込まれていったのだろうか。
館内は「これから舞踏会が始まりますよ」といった風情。和洋が不思議に入り混じったインテリアで、空想の物語の中にいるような気分に。
ダイニングだけでなく、館内のあちこちにこういった彫刻が見られる。東照宮を模したような眠り猫や象などもあり、東照宮のお膝元ならではの、豪華で細密な彫刻の数々に圧倒される。
食後は、本館1階にあるバーへ。どうしても見たかった暖炉は、一説によると、フランク・ロイド・ライトが設計したと伝えられている。こぢんまりした空間に和洋折衷のアンティーク家具が配され、落ち着いた雰囲気。立派な彫り物が施されたテーブル、華奢なランプ、大正時代の珍しい電話など、調度品のひとつひとつを眺めていると、自分がいつの時代にいるのかわからなくなる。
憧れのクラシックホテルで、夢見心地で眠りに就いた。
日光街道にも、古い建築が多く立ち並ぶ
翌日は、日光駅から東照宮へと続くメインストリート、日光街道を散策。道沿いには古い建物が多く、現役で営業している老舗が並ぶ。
少し奥まった石垣の上に立つ印象的な建物は「日光行政センター」。1919(大正8)年に建てられた和洋折衷入母屋造りの木造4階建てで、当初は外国人観光客向けのホテルとなる予定だった。しかしホテルがオープンすることはなく、製鋼所の工員宿舎になったり、一時は進駐軍の社交場になったりした。その後、1948(昭和23)年に日光町に寄付され、現在では市庁舎として使われている。
最後に訪ねたのは、レストラン「明治の館」。貿易商だったアメリカ人F.W.ホーンが明治後期に建てた別荘である。ホーン氏は日本コロムビアの前身、日本蓄音器商会を創設し、日本に初めて蓄音機を紹介した人物。この館で、見たこともないような機械から流れる音楽に、目を輝かせた人たちがたくさんいたのだろうか?文明開化の浮き立つような気配を感じながら、正統派の洋食を楽しめるのも日光ならでは。
古く趣ある建物が多く残る、日光の街。当時の暮らしをあれこれ想像しながら訪ねてみると、今まで気付かなかった新しい発見があるかもしれない。
掲載情報は2020年3月23日更新時のものです。現在の内容と異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。
今回の旅の行程
【1日目】JR東京駅→JR宇都宮駅→JR日光駅→英国大使館別荘記念公園→イタリア大使館別荘記念公園→日光珈琲→金谷ホテル歴史館→日光真光教会→日光金谷ホテル
【2日目】日光総合支所庁舎→明治の館→JR日光駅→JR宇都宮駅→JR東京駅