松尾芭蕉何体とシンクロできる?奥の細道「顔ハメ看板」追憶の旅
日本の観光地にあるものといえば、“穴から顔を出して記念撮影するアレ”がお馴染みだと思います。そんな“アレ”こと、「顔ハメ看板」にハマり続けて約3000枚。顔ハメ看板ニストと名乗って活動している私が、今回は奥の細道の行程になぞらえて、松尾松尾芭蕉の顔ハメ看板にハマれやしないものかと考えました。俳聖として世界的に知られる芭蕉と、観光地におけるB級の象徴である顔ハメ看板は、一見対極にあるかのように思われますが、芭蕉はしばしば顔ハメ看板のモチーフになるのです。
46歳で奥の細道の旅に出て、多くの名句を残した松尾芭蕉。30代の私は、まだ彼のような風流を解していないので奥の細道の行程上の顔ハメ看板を巡るくらいがちょうどよいハズ。同じ道をたどることで、芭蕉と思いをシンクロさせ、どれだけ芭蕉に近づけるのでしょうか。はたまた、どれだけ芭蕉の顔ハメ看板にハマれるのでしょうか?
旅の始まりは新庄、奥の細道、忘れられた土地
今回の旅の拠点は、山形県の新庄駅。ここで駅レンタカーを借り、顔ハメ看板にハマりながら巡ります。本当は立ち寄っていたのに、「奥の細道」では省略された感のある新庄。そのためか、市としても、松尾芭蕉を町おこしの前面にあまり出していない雰囲気です。新庄は『幽☆遊☆白書』や『HUNTER×HUNTER』でお馴染みの漫画家、冨樫義博さんの出身地ということもあり、どちらかというと冨樫さんがデザインした新庄市のイメージキャラクター「かむてん」で町おこしを推進していました。駅併設の「もがみ体験館」など、周辺にある顔ハメ看板も、かむてんとクワガタに樹液を吸われている木という2枚。芭蕉感は、ほぼありません。
芭蕉を求めて南下、立石寺へ
奥の細道において、芭蕉は新庄の南に位置する尾花沢で、旧知の豪商で俳人でもあった鈴木清風の元に逗留。そこで人々にすすめられて、羽州街道を南下したところにある立石寺に立ち寄ります。こちらは「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の有名な句が詠まれたお寺です。私も跡を追って、新庄からいったん南下してみることにし、途中のさくらんぼ東根駅でもう一ハマりしました。ここは穴が大きめのさくらんぼです。
このまま進めば立石寺ですが、どうしてもハマっておきたい顔ハメ看板があったので、ハンドルを切って、道の駅寒河江チェリーランドを目指します。日本初のさくらんぼ資料館があったりする、かなり大きな道の駅です。顔ハメ看板はさくらんぼではなく、玉こんにゃくモチーフ。あまりにも細くて小さい看板だったので、顔ハメ看板だと気づく人は皆無。三脚で一人ハマってると、不思議そうな目で人々から見られました。身体を反らして顔以外が出ないようにハマる、顔ハメ看板ニストとしては、かなりやる気の出る板です。ハマり終えれば夕暮れ。立石寺に寄る時間的余裕もなかったので、今日は宿のある新庄市に戻ることにしました。
奥の細道の行程を若干無視したものの、まさかのゼロ芭蕉という結果に。明日への景気づけに“山形といえばやっぱり”ということで日本酒をいただきつつ、明日の行程をさっと確認して、早めに寝ておきます。
奥の細道最北の地、象潟へ
翌日、顔ハメ看板奥の細道と銘打っておきながら、芭蕉関連の顔ハメ看板にほとんど触れなかったことに少々反省して、朝も早よから最上川です。
言わずと知れた有名な句が詠まれた最上川。古口駅からほど近い乗船場には、ご丁寧に短冊を持った、松尾芭蕉になれる顔ハメ看板、ならぬ「首から上乗せ看板」が置かれています。舟下りの営業が始まる少し前に伺ったので、誰もいない中で優雅にハマれました。首から上乗せタイプは、ハマる位置を間違えると一体感が出ないので難しいですね。
とはいえ、慣れてくると一発でハマれるようになります。こちらの看板はかなり古くからあり、何度も塗り直しがされている貴重な一枚。粛々とハマりました。
そのまま鶴岡街道を西へ。松尾芭蕉が象潟に行く前後で立ち寄った、交易と公益のまち酒田です。さすがに長く滞在しただけあって、記念碑などもあり、奥の細道ムードが盛り上がってきます。そして酒田市とその周辺には都合よく顔ハメ看板が何枚か。まずは鶴岡市に寄り道しまして、庄内観光物産館ふるさと本舗で顔ハメです。
物産館の方いわく、こちらの顔ハメは結構な人気で、イベントなどの時にも活躍するそうです。この日も、多くの観光客で賑わっていました。なかなかの人混みで、ハマるのも根性を試されているかのようで楽しかったです。
続きまして酒田市のある、酒田米菓のオランダせんべいFACTORYにて顔ハメ。東北ではかなり有名なお菓子らしく、工場も大きめです。駐車場に車を止めてから、シャトルバスに一人だけ乗せてもらい、工場見学の入り口へ。オランダせんべいは年間2億枚作られるといった豆知識を吸収し、せんべい食べ放題コーナーで小腹を満たしたら、見学の終わりに顔ハメ看板です。ほかもトリックアートのような写真コーナーもあって、担当の方がそういうのが好きな人だとわかります。
米どころ庄内のシンボルともいえる、山居倉庫にも顔ハメがあります。明治26年に建てられた、お米の保管倉庫です。そのうち2棟は改築されて、お土産売り場と食事処などになっていまして、そちらの方に看板があります。
酒田市の締めくくりは、松尾芭蕉と同時代を生きた井原西鶴の顔ハメ看板がある旧鎧屋です。だいぶ趣のある建物だったので、顔ハメがあるか不安になりつつ近づいてみると、堂々と入り口でアピールして、ウリにされていました。
入ってみると日本家屋の室内に置くには、目立つサイズの顔ハメ看板がすぐに見つかります。堂々と畳の上に置かれているあたりに、男気を感じました。実際の絵との顔の向きが難しい一枚ですが、ちょっとだけ顔を右に向けると雰囲気が出ます。
酒田市での顔ハメ看板の乱立ぶりに満足したところで、今回の旅のフィナーレ、奥の細道最北の地、象潟を目指します。酒田市から、顔ハメがある道の駅象潟「ねむの丘」までは、車で約1時間。徒歩でなくて本当によかったです。着いてみると、顔ハメ看板が3枚に増えているという、嬉しいハプニング。
私の旅は曾良(奥州・北陸の旅に同行した芭蕉の弟子)のいない一人旅でしたが、行く先々で親切にしていただき、すべての穴を埋めることができました。奥の細道では象潟から酒田まで引き返し、越後路を行く芭蕉と曾良ですが、こちらは仕事の休みを利用しての、1泊2日のインスタント細道。後ろ髪を引かれつつ、レンタカーにて新庄に戻り、新幹線「つばさ」で東京へと向かうのでした。
スポット情報
最上峡芭蕉ライン観光
住所:山形県最上郡戸沢村大字古口86-1
電話:0233-72-2001
URL:http://www.blf.co.jp
今回の旅の行程
【1日目】東京駅→新庄駅(もがみ体験館)→さくらんぼ東根駅→道の駅寒河江チェリーランド
【2日目】最上峡芭蕉ライン観光(乗船場)→庄内観光物産館ふるさと本舗→オランダせんべいFACTORY→山居倉庫→旧鐙屋→道の駅象潟「ねむの丘」→新庄駅→東京駅